歴史墓一覧

玉龍山 禅定寺
〒860-0046 熊本県熊本市中央区横手1丁目9番6号
TEL 096-353-1749
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※ 参考文献 肥後国史・他


その他

小西隼人 面山瑞方禅師両親 上田休兵衛の碑 白木為直の碑
豊臣秀吉の家臣で宇土・八代などを預かる24万石の大名、関ヶ原の戦いにて宇土城代として
西軍に属し敗北した小西行長の実弟。小西隼人の墓は小さな自然石で、元小西家家臣であり南条元宅(加藤家重臣)」の墓の後方にあり、後は小西家の家臣たちに守られるよう存在する
禅定寺歴代住職の言伝えによれば、実は小西行長の墓とも言われている
肥後の名僧(現熊本県植木町生まれ)
道元禅師大和尚の宗風を顕彰した曹洞宗が輩出した最大の学僧
禅定寺第12世住職であり、複数のお寺を建立するなど多大な功績を残している人物
軍学師役、京都留守居役、川尻町奉行、郡代など歴任
西南の役にて川尻鎮撫隊を組織し撫民の実績をあげたが薩軍に与する者と見られ処刑された
細川家家臣 白木家10代目
少参事」、飾磨県権参事を務め、力食社を起こし、紫溟会を創め、熊本県議会議長・商法会議長、九州鉄道講願委員、勧業協会長などを歴任し公共事業に尽力した
熊本三十三観音 普応閣
観音像の大きさは全て同じで年号はないが幕末頃のものである
各体に観音名と寄進者が刻まれている
第8世住職湛然性澄和尚が並河志摩守の霊屋を観音堂奥に移転し普応閣と名付け祀った
肥後三十三観音
観音像の大きさは全て同じで年号はないが幕末頃のものである
各体に観音名と寄進者が刻まれている
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